私が、この化粧品を知ったのは、今より二年半前です。
その頃の私の顔は、二十年間でき続けていたニキビと、その跡と、又それを隠す為、厚化粧をした為に、シミと、お化粧焼けで赤黒いデコボコの肌をしていました。
当時、小学一年だった長男が、ある日カブトムシを取りに連れて行ってと言うので、夜中の二時に出かけるし、どうしようかな? と考えたのです。
でも、やっぱりお化粧して行こうと決心して、十二時に目覚ましをかけて、お化粧をして、二時に出かけて行きました。
肌もそんな状態だったのですが、環境の方も真っ暗でした。
私は五年前に、三人の子供を連れて離婚をしています。
別れた当時、五歳・二歳・一歳少し前の子連れですし、手に職も無く、中々思う職に付く事が出来ません。
でも三人育てて行く為に何とか、将来性のある職をと必死で探しました。
だけど中々見つからず、調査関係の仕事、又、商品を販売する場所を借りる為電話での仕事、又ある時は工事現場での事務等と、パートや臨時を繋ぎ合わせて、時には、臨時さえも見つからずの状態で、生活も底を付き、もう、私の生きる世界はないのかなぁ、この子達の二十歳の顔を見る事が出来るのかなぁ?と思う時もありました。
丁度その頃、この化粧品を紹介して下さる方が居たのです。
頑固で固定観念の強い私です。
もうお化粧でキレイに成れるとは思えなかったのです。
それと、一万円と言うお金も無かったのです。
値段を聞いた時は、なんでこの私にと腹が立ったりもしました。
その方も、しつこく、あきらめずに、最後には 萌える愛 の本を貸して下さいました。
私はその本を少し読むうちに、今まで探し続けていたモノに出会った様に思い、欲しくなって、千円位ならあるし「本だけ頂だい、クリームはいらない」と言ったのです。
でもその本を読み終わらないうちに、生活費も無いのに、一万円を借金してクリームを買いに行ったのです。
そうして使ううちにニキビがかれた様になり、日に日にと肌に変化が起きました。
教えて下さった方が「本当にこれだけ、お薬か何かつけてない?」といったのです。
私は嬉しくなって、とにかく皆に早く教えなくてはと思い、務める前三十分早く家を出て、子供を配った後、近くの公衆電話へ飛び込み一日一人を目標に声賭けを始めました。
まだ家には電話が無かったのです。
又勤めが終わってから、子供を集めて帰り、七時から八時の間に夕食を食べさせ、八時から又近くの公衆に駆けつけます。
こうして行く内に八ヵ月後に代理店になる事が出来たのです。
代理店になって見て今まで必死で探し続けた将来性のある職に、出会っていたのです。
経済的にも安定して今では子供達へ人並みな事がしてやれます。
参観日も自由にいけます。
又、電話も付ける事が出来て、自分の車も持つ事が出来ました。
小さい事ですが、私に取っては今まで夢だった事が次々に実現しています。
又今度は夢にも見た事の無いハワイへ行けるんです。
それと、この仕事を通して もう一つ私に大切な事がありました。
それは考え方の変化です。
私が読んで感激した 萌える愛 の本の中に「苦しみは心の栄養剤とあります。
私は物心つく頃から環境もあり性格もありで苦しみの多い人生でした。
苦しみに出逢う度、どうして私だけが、又あの為になぞ、と何時も不足に思っていたのです。
この言葉を読んだ時、今までの出来事に対して不平不満を持って来た事をすまないと思ったのです。
今までマイナスの原因となった周りの人、出来事があったから今の自分がある事に感謝したい気持ちに成ったのです。
こうして、今までのマイナスをプラスに変えていく方向の考え方を身に付けて行く事が出来て、暗かった性格も明るい方向へ向いてきています。
六月の終わりの事です。
小学四年に成った長男のランドセルの中から、一枚のプリントがでてきました。
色々の質問の中で「おかあさん」と最後に書いてありました。何の質問だろうと思って見ると「一番尊敬している人」に成っていたのです。
嬉しくって! 一生懸命生きていてよかったなと思いました。
もしこの仕事に出逢っていなかったらこんな嬉しい思いはしなかったと思います。
このクリームを教えて下さった方、私を代理店へ導いてくださった方々へ本当に感謝しています。
これからもこの化粧品を通して沢山の幸せを掴んで頂けるように一生懸命頑張ります。
ありがとうございました。
昭和六十二年 十一月
本社大会
その頃の私の顔は、二十年間でき続けていたニキビと、その跡と、又それを隠す為、厚化粧をした為に、シミと、お化粧焼けで赤黒いデコボコの肌をしていました。
当時、小学一年だった長男が、ある日カブトムシを取りに連れて行ってと言うので、夜中の二時に出かけるし、どうしようかな? と考えたのです。
でも、やっぱりお化粧して行こうと決心して、十二時に目覚ましをかけて、お化粧をして、二時に出かけて行きました。
肌もそんな状態だったのですが、環境の方も真っ暗でした。
私は五年前に、三人の子供を連れて離婚をしています。
別れた当時、五歳・二歳・一歳少し前の子連れですし、手に職も無く、中々思う職に付く事が出来ません。
でも三人育てて行く為に何とか、将来性のある職をと必死で探しました。
だけど中々見つからず、調査関係の仕事、又、商品を販売する場所を借りる為電話での仕事、又ある時は工事現場での事務等と、パートや臨時を繋ぎ合わせて、時には、臨時さえも見つからずの状態で、生活も底を付き、もう、私の生きる世界はないのかなぁ、この子達の二十歳の顔を見る事が出来るのかなぁ?と思う時もありました。
丁度その頃、この化粧品を紹介して下さる方が居たのです。
頑固で固定観念の強い私です。
もうお化粧でキレイに成れるとは思えなかったのです。
それと、一万円と言うお金も無かったのです。
値段を聞いた時は、なんでこの私にと腹が立ったりもしました。
その方も、しつこく、あきらめずに、最後には 萌える愛 の本を貸して下さいました。
私はその本を少し読むうちに、今まで探し続けていたモノに出会った様に思い、欲しくなって、千円位ならあるし「本だけ頂だい、クリームはいらない」と言ったのです。
でもその本を読み終わらないうちに、生活費も無いのに、一万円を借金してクリームを買いに行ったのです。
そうして使ううちにニキビがかれた様になり、日に日にと肌に変化が起きました。
教えて下さった方が「本当にこれだけ、お薬か何かつけてない?」といったのです。
私は嬉しくなって、とにかく皆に早く教えなくてはと思い、務める前三十分早く家を出て、子供を配った後、近くの公衆電話へ飛び込み一日一人を目標に声賭けを始めました。
まだ家には電話が無かったのです。
又勤めが終わってから、子供を集めて帰り、七時から八時の間に夕食を食べさせ、八時から又近くの公衆に駆けつけます。
こうして行く内に八ヵ月後に代理店になる事が出来たのです。
代理店になって見て今まで必死で探し続けた将来性のある職に、出会っていたのです。
経済的にも安定して今では子供達へ人並みな事がしてやれます。
参観日も自由にいけます。
又、電話も付ける事が出来て、自分の車も持つ事が出来ました。
小さい事ですが、私に取っては今まで夢だった事が次々に実現しています。
又今度は夢にも見た事の無いハワイへ行けるんです。
それと、この仕事を通して もう一つ私に大切な事がありました。
それは考え方の変化です。
私が読んで感激した 萌える愛 の本の中に「苦しみは心の栄養剤とあります。
私は物心つく頃から環境もあり性格もありで苦しみの多い人生でした。
苦しみに出逢う度、どうして私だけが、又あの為になぞ、と何時も不足に思っていたのです。
この言葉を読んだ時、今までの出来事に対して不平不満を持って来た事をすまないと思ったのです。
今までマイナスの原因となった周りの人、出来事があったから今の自分がある事に感謝したい気持ちに成ったのです。
こうして、今までのマイナスをプラスに変えていく方向の考え方を身に付けて行く事が出来て、暗かった性格も明るい方向へ向いてきています。
六月の終わりの事です。
小学四年に成った長男のランドセルの中から、一枚のプリントがでてきました。
色々の質問の中で「おかあさん」と最後に書いてありました。何の質問だろうと思って見ると「一番尊敬している人」に成っていたのです。
嬉しくって! 一生懸命生きていてよかったなと思いました。
もしこの仕事に出逢っていなかったらこんな嬉しい思いはしなかったと思います。
このクリームを教えて下さった方、私を代理店へ導いてくださった方々へ本当に感謝しています。
これからもこの化粧品を通して沢山の幸せを掴んで頂けるように一生懸命頑張ります。
ありがとうございました。
昭和六十二年 十一月
本社大会
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