垂直型に気付いた時 文章を変えられています。 2023年2月1日
2018年9月4日 ポエム 垂直型に気付いた時
2011年3月11日をきっかけに強く感じている事は、現代もまだ増え続けている、
現太陽光発電により大量の熱量を生み出し、異常気象の多発による災害の数々。
・自然を破壊し毎年上がり続け、生物が生きられない位の熱量、
プラス 何時災害に巻き込まれるかも解らない、原発の怖さです。
日程の前後はハッキリ覚えていませんが、耶馬溪の山中でゲリラ豪雨に会い、ワイパーをフル回転してもバケツで水を掛けられている様な、ほんの数メートル離れればブレーキランプも分らない豪雨に、大変怖い思いをしました。
山中を通り抜けると雨は小さくなり、無事帰り着く事が出来ました。
あの頃からゲリラ豪雨と言う言葉が流行り出した様に思います。
その後、一ヶ月くらい経った頃だったと思いますが、高速のくだり口付近から
自宅の方向を見ると黒い大きな雲の中で、カミナリが縦に横に走り回っているのを見て、あのときの雨を思い出しました。
一箇所に留まりあの雨を降らせるのは、丁度その頃から急速に増え続けていた、あの平面に並べられた太陽光発電以外に考えられず、このままでは毎年増え続けている メガソーラー等では大変な事が起こる様な気がして、
「何か良い方法は無いか?」 と考えていて ヒラメイタ のが、父の特許を利用した、垂直に設置できる太陽光発電の方法でした。
その後の経過
私が当時関っていた仕事のトップの方の日本を想う御姿に、
垂直型太陽光の案を是非役立てて欲しくて、会社の事務所へ連絡をして確認をした上で、父の特許の書類と一緒に社員さんへ託けましたが、返事があるかどうかは解らないと言う事でした。
事務所へTELした時との対応の違いに不安を感じ、人任せではいけないと思い特許庁へTELをしましたら、支援センターの方を自宅まで派遣して頂けると言う事で、七日間位は見えて頂ける仕組みでした。
あと少しと言うところで、「急に仕事を止め無ければ成らない様になったから、後を分るように・・・」と連絡を頂きました。
途中に成っていた手続きの方法など解るように教えて下さり、大変お世話になりました。 お陰さまで、自分ではどうする事も出来ないと思っていた物ですが、何とか権利を取得する事が出来ています。
その時の担当の方とは連絡が取れなくなってしまいました。
この頃だったと思います。 違う件で銀行に行っていましたので、その時の担当の方に特許の件を話すと、そういう時の資金で返さなくても良い仕組みが有ると教えて頂いたのですが、
その方も、又銀行を止める様に成ったと言うことでした。
その後色々と調べ数人に書類を渡し先ず、父が生前言っていた
「子供に夢を」と思い、玩具として出来ないか?と、ある会社にファクスを送った事も有りますが、分野が違うという事で、丁寧なお返事を頂きました。
友人に話したりして居ると「シャープに言っても良いか?」と聞かれました。
世界の平和にも通じる物と思っていましたので、一企業だけではと迷いもありました。 でも、それで決まってしまう訳ではないので、そのとき書類を渡しました。
暫くして、会社の方から友人のほうへ、お断りのお手紙が届いたと、そのお手紙を見せて頂きました。
私としては、世界平和の様なそんな組織ができないかと思っていましたので、
日本に上げようとパソコンで調べていると、
政策会議と言うページを見つけファックスを送ったのですが、そんなに掛からず
「官房長官室です」のTELを頂きましたが、普通のおばちゃんですので、いきなりの官房長官室よりのTELにうまく話せず、そのままに成ってしまいました。
その後、公明党の友人に紹介して頂いた地域の議員さんへ、国へ上げたいと言う思いを伝え書類を渡しました。
少し暗い感じで「衆議院まで言っているが返事が来るかどうかは解らない」という事でした。
その内、政権争いが起り当時の民主党の、野田総理大臣様を無理やりに引き下ろす形になり、せめてもの条件に出された定数削減を約束し、自民党政権と成ってしまいました。
その後の様子を見ていて、私の気持ちは変わりました。
2018年8月29日
2011年3月11日をきっかけに強く感じている事は、現代もまだ増え続けている、
現太陽光発電により大量の熱量を生み出し、異常気象の多発による災害の数々。
・自然を破壊し毎年上がり続け、生物が生きられない位の熱量、
プラス 何時災害に巻き込まれるかも解らない、原発の怖さです。
日程の前後はハッキリ覚えていませんが、耶馬溪の山中でゲリラ豪雨に会い、ワイパーをフル回転してもバケツで水を掛けられている様な、ほんの数メートル離れればブレーキランプも分らない豪雨に、大変怖い思いをしました。
山中を通り抜けると雨は小さくなり、無事帰り着く事が出来ました。
あの頃からゲリラ豪雨と言う言葉が流行り出した様に思います。
その後、一ヶ月くらい経った頃だったと思いますが、高速のくだり口付近から
自宅の方向を見ると黒い大きな雲の中で、カミナリが縦に横に走り回っているのを見て、あのときの雨を思い出しました。
一箇所に留まりあの雨を降らせるのは、丁度その頃から急速に増え続けていた、あの平面に並べられた太陽光発電以外に考えられず、このままでは毎年増え続けている メガソーラー等では大変な事が起こる様な気がして、
「何か良い方法は無いか?」 と考えていて ヒラメイタ のが、父の特許を利用した、垂直に設置できる太陽光発電の方法でした。
その後の経過
私が当時関っていた仕事のトップの方の日本を想う御姿に、
垂直型太陽光の案を是非役立てて欲しくて、会社の事務所へ連絡をして確認をした上で、父の特許の書類と一緒に社員さんへ託けましたが、返事があるかどうかは解らないと言う事でした。
事務所へTELした時との対応の違いに不安を感じ、人任せではいけないと思い特許庁へTELをしましたら、支援センターの方を自宅まで派遣して頂けると言う事で、七日間位は見えて頂ける仕組みでした。
あと少しと言うところで、「急に仕事を止め無ければ成らない様になったから、後を分るように・・・」と連絡を頂きました。
途中に成っていた手続きの方法など解るように教えて下さり、大変お世話になりました。 お陰さまで、自分ではどうする事も出来ないと思っていた物ですが、何とか権利を取得する事が出来ています。
その時の担当の方とは連絡が取れなくなってしまいました。
この頃だったと思います。 違う件で銀行に行っていましたので、その時の担当の方に特許の件を話すと、そういう時の資金で返さなくても良い仕組みが有ると教えて頂いたのですが、
その方も、又銀行を止める様に成ったと言うことでした。
その後色々と調べ数人に書類を渡し先ず、父が生前言っていた
「子供に夢を」と思い、玩具として出来ないか?と、ある会社にファクスを送った事も有りますが、分野が違うという事で、丁寧なお返事を頂きました。
友人に話したりして居ると「シャープに言っても良いか?」と聞かれました。
世界の平和にも通じる物と思っていましたので、一企業だけではと迷いもありました。 でも、それで決まってしまう訳ではないので、そのとき書類を渡しました。
暫くして、会社の方から友人のほうへ、お断りのお手紙が届いたと、そのお手紙を見せて頂きました。
私としては、世界平和の様なそんな組織ができないかと思っていましたので、
日本に上げようとパソコンで調べていると、
政策会議と言うページを見つけファックスを送ったのですが、そんなに掛からず
「官房長官室です」のTELを頂きましたが、普通のおばちゃんですので、いきなりの官房長官室よりのTELにうまく話せず、そのままに成ってしまいました。
その後、公明党の友人に紹介して頂いた地域の議員さんへ、国へ上げたいと言う思いを伝え書類を渡しました。
少し暗い感じで「衆議院まで言っているが返事が来るかどうかは解らない」という事でした。
その内、政権争いが起り当時の民主党の、野田総理大臣様を無理やりに引き下ろす形になり、せめてもの条件に出された定数削減を約束し、自民党政権と成ってしまいました。
その後の様子を見ていて、私の気持ちは変わりました。
2018年8月29日
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