何が起こって居るか教えます。
今から私に物心つく頃から起こった事を書きます。
誰かを責める訳でもありません。  排除する訳でも在りません。
人類の根本的な魂の問題です。  自分中心に物事を考える地球人の問題です。

もう限界です。 ・人の心も・地球も・社会も。
宇宙に行くのも、何をするのも勝手かもしれません。
その考えは自分の事しか考えないで、すべての人類をギセイにしてまで、ギセイと言うより奴隷の様に、又、虫けらのように殺してまでやる事ではないと思います。

私に起こった事を箇条書きに書きます。
私の記憶のあるころからの事です。 父はよく戦争に行く前の話をしていました。
父は戦争に行く前、車の変速機の(クラッチ)特許を出願していました。
その時上官の方が「お前はここに入っておけ、お前に何かあったら俺が困る」と危ないときには、何時も戦車に押し込まれていたそうです。

帰ってからその特許はアメリカのモノに成っていたそうです。
日本の拘わりが無いと出来ない事だと思います。

戦争から帰った後自分で私立探偵の免許を取得して、何かを調べていた様です。

その後、車のライトの光に目を奪われて事故にあう人が多く目を奪われないライトのガラスの研究をしていました。
私が子供の頃より研究をしていて、出願してからかなりの時が経ち 私が社会に出たころ、周りの方々の協力のお陰様で特許の権利の取得が出来ました。 
その方々の名前は今も覚えています。

(今は名前を出すわけにはいきません。何が起こるかわかりません。
 それだけの事が起こり続けています。)

その後その特許の権利をめぐり、色々の事が起こり続けました。
追い込まれる様な事が起こり、わずかな金額で奪われる様な事が起こりました。

協力者がたくさんありましたので「自分だけのモノではない」と言って、兄弟に事情を話し、金額もそれほどではなかったので取り留める事が出来ました。
この時は、プリズム状態でした。 

すぐ後に、板ガラスとして出来るものを出願していて、費用が続かずそのままに成ってしまいました。

その後父は、その権利を私に託し書類を残していたため私は何とかしたく、想いを捨てきれず、ずっと心の底に残っていました。
阪神大震災の時、そのガラスの間に太陽光のパネルを挟む事でなんの害も起こらない電力の供給が出来ることに気づきました。

その後、国に支援センターが在り、お陰様で登録できました。
父の時は母の奮闘で、周りの皆様にお世話になりました。

私には規模が大き過ぎ、どうにもならないので国に上げたくその方向で頑張っていましたが、余りにも壮絶な事ばかり起こり私の気持ちは変わりました。

ちょうど私は、過去の出来事を友人等の勧めで、ホームページを開いていました。 

お陰様でそのページを利用して、その後の事や特許の事などを ズ~と 書き綴りその太陽光発電の壮大な価値などを掲載し、それを使う事で宇宙規模の平和と、永遠の自然エネルギーで地球環境も、他の動物の様に権力や圧力などに関係なく、個人個人が自由に生きられる社会を築くため 「太陽の党」 を立ち上げました。

実用新案の権利は十年で、今年の十月までですが、「太陽の党」 は永遠です。

〔これから10年間の年金は収めています〕

〔この先 十年単位 で年金を納めれば「太陽の党」は永遠です。
人類すべてで関わる事業として、「太陽の党」の立てて使える太陽光発電の原理原則を 地球の財産とします〕

人類すべてで関わると言いましても中心者は必ず必要ですし、地球規模でお願いしなければならないと思います。 今まで・日本の状況と・世界の状況を見て来ましたが、中心者になると必ずと言っていい程、一生懸命の方程危険が伴い段々と立場を追われます。
                    2021年3月21日















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