今まで、社会に起こる色々の状況を見て「恥ずかしくないですか?」 と
聞いて見たこともありました。
今その言葉を言った自分が、恥ずかしく思います。
父から良く「世間しらず」と言われていました。
今思います。
体験が少ないと言う事は、見ようとしない部分が多く真実を見逃して居る部分が多かったと思います。
「若気の至り」と言う事もよく聞きました。
今日、改めて広辞苑を引いてみました。
「若さの余り、血気にはやって思慮分別を失うこと」とありました。
親から言われた時は、ここまで調べようともしませんでした。
子供の頃から、内気でおとなしかったので、小学校の時は通知表には、何時も消極的の文字が必ずありました。
中学 高校と成る内にこのままではいけないと思い、高校で演劇部に入りました。 3年生が卒業の時、内気な私に今までやったことのない、部長という責任重大な役割を言われどうすることも出来ずに、やるしかありませんでした。
一生懸命だけが取り柄でしたので逆風の吹く中、人手が足りなくなり、ヤギ の出場場面に、近くのお家で本物をお借りしましたが、練習中に舞台の上で ボトボト と ウンチ をしてしまい、時間がないので、学校を休み縫いぐるみなど作った事もないのに小道具のヤギのぬいぐるみを作り、それを抱えて夕方より部活だけに行った事もあります。
そんな私を 先生も、親も、何も言わずに見守ってくれました。
自信の無い私が一生懸命だけで、やっているので皆も一生懸命で自主的に意見を出し合い、大変いい思い出に成っています。
逆風もあったから、塩 コショウ が効いて自分の大きな一歩が踏み出せたように思います。
その後社会に出て、数種の仕事を体験して、その間には 家の破産 強制立ち退き 結婚離婚 と、目まぐるしく変化する中、友人より借りた「萌える愛」と言う本の中に「苦しみは必要な栄養剤」と言う言葉に出会ったのが キッカケ で世界平和を考える様になりました。
この本を書かれた方の美容関係の仕事を始め、厳しい方を選ぶようにとも言われていました。 人とのふれあいの中で、その出会いの中で体験を通して、自分との戦いをしてきました。
例え、イジメ であっても「よし! これを超えれば一つ強くなれる」と思い、折角の出来事なので何時も、「ありがとう」「おかげ様」でと言えるように成るまで頑張ろうと思い、超えてきました。
あの時代は本当に、純粋に社会を見ていて、お客様や、仲間の皆、その他たくさんの人間関係が増え、その中で起こる数々の問題、その何もかもが目新しく、その解決の為には、この人に取ってどうしたら良いのか?と、考えての行動しか無かった様におもいます。
同じ理念を共有する仲間でしたので組織も順調に伸びていきました。
この頃、仕事の仲間で私よりも随分年上だったように思います。
同じ会社の塾で「あなたは、自分さえ成長すればよいと思っている」と言われました。
今、その言葉の意味がよくわかります。
今の社会は、この頃とは大きく変わってしまいました。
変わったと言うより、私の世間知らずの分野だったかもしれません。
あの頃も、理不尽な事がたくさんあり、その状況を超える為に一生懸命なだけで、若い私には解らない人の心の状況も、見えない部分がたくさんあった様に思います。
こんなに汚い、こんなに卑劣な、忖度だらけで人の感情を利用して、社会を混乱させてしまい、その資金は血税と言われる税金で、それも集まるメドの無い税金で、このまま数人の権力者に任せておいて良いのですか?
コロナの件にしても、ワクチンの接種を世界中にあおり、アメリカは懸賞金迄かけて後半分の接種を済ませる? 等と本当の事でしょうか。
人類、一人一人真剣に考え、本当にワクチンだけしか無いのか❓
菌類等も考え、各地で研究してもよいのでは❓その他消毒にしても、海に流れ出す物を世界中にまき散らし大丈夫なのか❓
押入れに入れている乾燥剤の水も、今回のコロナウイルスの時に、使われてはいないか❓ もう少しきめ細やかに、人類すべてで確認をした方がよいと思います。
ソンタクだらけの社会で起こっている事を人類全てで考え行動する必要がある様に思います。
ウイルスの出ていない国もあるのではないかと思います。
真実の追及をしない限り、又同じ様な事が起こると思います。
2021年5月22日
聞いて見たこともありました。
今その言葉を言った自分が、恥ずかしく思います。
父から良く「世間しらず」と言われていました。
今思います。
体験が少ないと言う事は、見ようとしない部分が多く真実を見逃して居る部分が多かったと思います。
「若気の至り」と言う事もよく聞きました。
今日、改めて広辞苑を引いてみました。
「若さの余り、血気にはやって思慮分別を失うこと」とありました。
親から言われた時は、ここまで調べようともしませんでした。
子供の頃から、内気でおとなしかったので、小学校の時は通知表には、何時も消極的の文字が必ずありました。
中学 高校と成る内にこのままではいけないと思い、高校で演劇部に入りました。 3年生が卒業の時、内気な私に今までやったことのない、部長という責任重大な役割を言われどうすることも出来ずに、やるしかありませんでした。
一生懸命だけが取り柄でしたので逆風の吹く中、人手が足りなくなり、ヤギ の出場場面に、近くのお家で本物をお借りしましたが、練習中に舞台の上で ボトボト と ウンチ をしてしまい、時間がないので、学校を休み縫いぐるみなど作った事もないのに小道具のヤギのぬいぐるみを作り、それを抱えて夕方より部活だけに行った事もあります。
そんな私を 先生も、親も、何も言わずに見守ってくれました。
自信の無い私が一生懸命だけで、やっているので皆も一生懸命で自主的に意見を出し合い、大変いい思い出に成っています。
逆風もあったから、塩 コショウ が効いて自分の大きな一歩が踏み出せたように思います。
その後社会に出て、数種の仕事を体験して、その間には 家の破産 強制立ち退き 結婚離婚 と、目まぐるしく変化する中、友人より借りた「萌える愛」と言う本の中に「苦しみは必要な栄養剤」と言う言葉に出会ったのが キッカケ で世界平和を考える様になりました。
この本を書かれた方の美容関係の仕事を始め、厳しい方を選ぶようにとも言われていました。 人とのふれあいの中で、その出会いの中で体験を通して、自分との戦いをしてきました。
例え、イジメ であっても「よし! これを超えれば一つ強くなれる」と思い、折角の出来事なので何時も、「ありがとう」「おかげ様」でと言えるように成るまで頑張ろうと思い、超えてきました。
あの時代は本当に、純粋に社会を見ていて、お客様や、仲間の皆、その他たくさんの人間関係が増え、その中で起こる数々の問題、その何もかもが目新しく、その解決の為には、この人に取ってどうしたら良いのか?と、考えての行動しか無かった様におもいます。
同じ理念を共有する仲間でしたので組織も順調に伸びていきました。
この頃、仕事の仲間で私よりも随分年上だったように思います。
同じ会社の塾で「あなたは、自分さえ成長すればよいと思っている」と言われました。
今、その言葉の意味がよくわかります。
今の社会は、この頃とは大きく変わってしまいました。
変わったと言うより、私の世間知らずの分野だったかもしれません。
あの頃も、理不尽な事がたくさんあり、その状況を超える為に一生懸命なだけで、若い私には解らない人の心の状況も、見えない部分がたくさんあった様に思います。
こんなに汚い、こんなに卑劣な、忖度だらけで人の感情を利用して、社会を混乱させてしまい、その資金は血税と言われる税金で、それも集まるメドの無い税金で、このまま数人の権力者に任せておいて良いのですか?
コロナの件にしても、ワクチンの接種を世界中にあおり、アメリカは懸賞金迄かけて後半分の接種を済ませる? 等と本当の事でしょうか。
人類、一人一人真剣に考え、本当にワクチンだけしか無いのか❓
菌類等も考え、各地で研究してもよいのでは❓その他消毒にしても、海に流れ出す物を世界中にまき散らし大丈夫なのか❓
押入れに入れている乾燥剤の水も、今回のコロナウイルスの時に、使われてはいないか❓ もう少しきめ細やかに、人類すべてで確認をした方がよいと思います。
ソンタクだらけの社会で起こっている事を人類全てで考え行動する必要がある様に思います。
ウイルスの出ていない国もあるのではないかと思います。
真実の追及をしない限り、又同じ様な事が起こると思います。
2021年5月22日
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