私の若い頃はやった歌です。
お父ちゃんの 為なら エンヤコラ 
お母ちゃんの 為なら エンやコラ と言う歌です

お母さんの働く姿を見て、また学校へ帰って勉強をしたという…
あの頃は「親」に対しての思いの歌が色々ありました。  行政などなく隣や ご近所の方々に随分お世話に成り又、話かけてくれたりで自然の中で、人間関係も出来ていました。
周りのお大人の方々も「親孝行せなよ!」と、親の事をほめてくれたりしました。  だから私は、親の事を守るように言ってくれるお年寄りの方は、特別な存在でした。  今の社会の様に終末処理などという考えは在りませんでした。
子供は親の事はどんなことがあっても守ろうとします。

数年前「ゆあちゃん」と言う 幼い子供さんが虐待で無くなったニュースがありました。  自分がそんなつらい状況の中、書いた文章が紹介されていました。
親を攻めたことではなく「今度自分も頑張るから」という様な文章だったと思います。  昔だったら、おじいちゃん・おばあちゃんなど 誰かがなかに入って親子をつなげていたかもしれません。

それ以前に、こんな問題はあまり起こっていませんでした。

何もかもお仕事として解決しようとする、状況に問題があるように思います。

洗脳の社会に成り、人の心を利用して、社会を思い通りにしようとする考え方の中より、この現象が起こって居るようにおもいます。  
社会の全ての人類が一つの目標に向かい、何かを守ろうとする考えの中に人間らしい思いやりや温かさが自然と身についてくるように思います。

護るものを自分の遠くを見て守ろうとする人ほど、魅力が増している様におもいます。
子どもに口で言うより、大人が大きな目標に向かい イキイキ 生活する姿を見て子供たちは、自然と育っていくような気がします。

私が子供の頃は機械類はなく、牛や 馬を、家で飼って居て、朝早くから夕方暗くなるまで田んぼで働き泥にまみれて、帰った後に牛や馬の世話をして、夕食を家族と一緒に食べそんな状況の時代でした。  
 
行政などなく、お隣さんや ご近所の方々とのふれ合いの中で、温かいモノがありました。  いま考えるとあの時代に育った私たちは、大変幸せに思います。

何もカモ、国の決め事の中で、おまけに家族庁などと、事細かに国の頂点からの支配で運営される社会は、自由もなく、成長の場所もなく、人材育成も出来ず、
誰かに支配されなくては、トップにいながら自分の立ち位置も解らず、その状況をその方に伝える人材もいなくなったように感じます。

人は、閉じ込めて育てては、何も成長しない様に思います。  大人たちが
何かを護ろうとする行動の中に、人間らしい思いやりや温かさが身についてくるように思います。  

トランプ大統領様は、アメリカを護ると言われていました。
金正恩様は、国民の皆様へ感謝のお心をお伝えされていました。
国民の皆様との心温まる、ご関係を感じました。

日本は、何を護ろうとしているのでしょうか?

                       2021年12月26日

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